続)My Audio Life/暇と退屈(7)

 退屈は心の癌か……

退屈⇨ 暇つぶし ”

 著者曰く「退屈の第一の形態は、予測可能で脱出困難な状況から生じるものだ。(中略)この種の退屈の特徴は、長々とした持続、予測可能性、脱出不能性──監禁の感覚だ。そしてこの感情をおぼえると、時の流れは緩慢になっていき、ついには、あたかも、こうした経験の外部に自分がいるかのような気持ちになる。ほかにも特徴がある。その経験がえんえんと繰り返され、もう完全に「これ以上無理だ」となったとき、人は、自分が退屈していると主張し始めるのだ。甘い焼き菓子を食べすぎた時の感じに似ているかもしれない。通常そこには嫌悪の風味が、あるいはもっと正確に言えば、状況に飽和してしまったときのむかつき、の感覚がある。状況が無価値に思えると退屈は悪化する。」

単純な退屈と実存の退屈

 日常生活を送る上で行わねばならない単純作業などが〈単純な退屈〉であり、〈メランコリー、憂鬱、倦怠、生の病、厭世、悲哀などが複雑な退屈、実存の退屈〉。

 退屈(飽食)には〈嫌悪〉の感覚が伴う。逆でもいい、嫌悪には退屈が伴う、と。

 過剰=〈うんざり〉/疲労倦怠

 サルトルの『嘔吐』と並び、モーパッサンの遺作であるこの作品も退屈と嫌悪について見事に描き切っている。

 我々はある意味『オーディオ依存症』に罹っている可能性がある。依存というのは〈監禁状態〉でもある、と思えばむしろ外部の〈感染性のある毒〉から守ってくれている、という見方も成立する。そう、退屈はある種の堤防になりうるらしい。

〈 続く 〉



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