『モノ』との距離感/共生

 モノが生き物のように

ペット化して愛着が…… ”

 モノが無機的なマシンを超えた存在になりうるだろうか、たとえば犬や猫のような存在に。そりゃぁ無理でしょう、と普通は思う。だが、奇妙な愛着が湧き上がってどうしても手放せなくなることがある。飽きてしまったので買い替える、というパターンが適応されないのだ。その違いはどこにあるのだろう。おそらく、出会った当初のインパクトや何がなんでも欲しいと思えたか否かで愛着の深さが決まってくるような気がしている。妥協があってはいけないようだ。まあ、こんなもんでいいかな、というスタートではいずれ嫌になってさよならすることになりやすい。

 『美しい』と思わずため息が出るような、鳥肌が立つような、そんな感動を伴っていれば間違いがない。視覚的にもサウンド的にも〈美しさ〉は必須の要件。見た目重視なのだ。毎日、目の前にあって操作するアンプ類は特に繊細で儚い美さが欲しい。剛直なたくましさは邪魔であってないに越したことはない。

 JBL#4343は、見た目も(コントロールした)サウンドもほぼ理想そのもので、もはやメインスピーカーを入れ替えることは考えられない(一時的なローテーションは別にして)。このシステムとの不幸な出会い、こちらに使いこなしの技術・経験が無かったせいで憤慨・落胆・失望して手放した辛すぎる思い出がある。人間として、男として未熟な坊やでは恋愛もままならない、と言うことに等しい。老境の域に達した初恋の女性(=#4343)と再会して残された時を美しく過ごせれば本望だ。

 この子は生娘で我が家に嫁入りしてきたような存在で、細心の注意を払って接してきた。ダブル〜トリプル・クラッチを使い、回転はしっかり合わせシフトアップ・ダウン。路面の凹凸の極力回避、段差は斜め進入で足回りにかかる負担も最小限、としてきた。可能な限り屋根付きのスペースに駐車し、沖縄のきつい日差しも避けてきた。まあ、過保護でここまできた。深い愛着があり、下取りに出すなど論外だった。

 英国車は独特のフラジャイルなイメージに包まれており、手荒な扱いをすればすぐ壊れる、と思ってきた。高度な、先端的な設計が盛り込まれているのだが……    とは言っても、実はドイツ車、特にBMWとの共用パーツも多いようで、心臓部のオートマは同じZF製だ。XJRと言うV8、5.0L スーパーチャージャー付きのアグレッシブなモデルもあり、メルセデスSクラス6.0Lの最強モデルを上回る動力性能を見せつけ驚かせたが、個人的にはそうしたマッチョなテイストには惹かれない。むしろ6気筒3.0Lの節度ある繊細感を大切にしたい。

モノとの共生

 オーディオと車に身を粉にして稼いだお金を注ぎ込んできた。無駄な授業料も多かった。そこで学んだこと、舐めた辛酸があって今の達観があると思っている。心から欲しいと思ってきた〈モノ〉に囲まれ、これからは人生のベクトルが微妙に変化しそうだ。

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