JBL4343 復帰/強烈

 直接比較で分かったこと

 ビルトイン・ネットワークを介しているということを感じさせない鮮烈なサウンド。というか、情報量の差が大きすぎ〈直接比較〉は無意味とすぐに判明。これまでは、適度に省略・整理された耳あたりのいいサウンドを聴いていたのだな、と思う。音楽的で、音楽を楽しむにはむしろ良いのでは、と言うこともできるかもしれないが、こちらがオーディオ的で刺激的か、といえばまったくそんなことはないのであって、これまで聞こえなかった細部のニュアンスがくっきり浮かび上がってくるし、人の声や楽器の高度なリアリティが、音楽の核心へと迫る求心力に直結してくる。

 シャープに引き締まった音像は中域にアルニコの2420という強力な傑作ドライバーが配され、また専用ミッドバスがドライバーを下支えしていることも効いているだろう。



 JBLがなぜ4ウェイという構成に執着したのか、真意が見えてくるサウンドだ。JBL自身ですら、その後コストカットの激流に飲まれ、外観はプロ用だが内容は民生用に堕していき、やがて極めた頂点からゆっくりとずり落ちていくことになった。

 業務用のジャンルでは相変わらずトップメーカーの座を揺るぎないものにしており頼もしい限りだ。

 今時こんな構成のシステムを新たに開発するのはコスト的にも素材確保の面でも不可能だろう。

 扱う情報の量が爆発的に増えるのでその分ハンドリングも集中力と真剣さ、熟練、経験が厳しく要求されるだろう。市中の4343の悲惨なサウンドがそれを露わにしてきた。


 マルチトラックのデジタル録音、特にライン録音でキメたシンセサイザーの混濁のないS/Nの高い複雑な響きの綾を大音量でも崩壊の兆しを感じさせず、天空を駆け抜けるかのように空間に放射してくる力こそ、このシステムがいまだに生き残っている存在証明の一つだろう。

 4343はこうしたコントロール機器との組合せが使用上の前提でありその意味を理解できなければ、永久にアマチュアの自己満足、唯我独尊の泥沼から這い上がれない。民生用のハイエンド機器のみで構成されるシステムで鳴らすことはまったく考えれておらず、かつてそれを強引に推し進めたジャーナリズムは目先の利益のためにとんでもない暴挙、愚を犯したと忸怩たる思いに襲われる。せめてプロの失笑をかうような音だけは出したくない、と己を諌め続けるしかあるまい。


 親友も2Wayのコンパクトなシステムを当然のルールに準拠して鳴らしている。こうしたアプローチはプロのモニタールームでは当たり前のことであり、我々のリスニングルームであっても本当は実践しなけらばならないはずなのだ。

 2Wayながらマルチアンプでスピーカーマネージメントシステムを駆使し、音楽が音楽らしく鳴るための当たり前のことをされている。「究極のリアル?」の町田さん宅のシステムもそうだ。家庭での音楽再生は小規模SR、PAなのだ。

 故・菅野沖彦先生宅のシステムも、オーディオラックの背後にある調整室にはサウンドコントロールのための機器がレコーディングスタジオのように並んでいた。あのサウンドもまたコンサート会場、あるいはハイエンド・ハウスでの極上のPAのように、大音量でも刺激感のない、スピーカーの存在感が消える世界だ。それは、スピーカーにアンプをつないだだけでは永遠に達成できないプロの標準、スタンダード基準点だろう。


 このユニット群からもたらされるサウンドを、銘器D130といえど、フルレンジであり077の助けを借りたとしても物理量をカバーするのは不可能だった。

 D130+077のシステムには4343には無い魅力があり、その美点を引き立てる使いこなしに徹することにしたい。


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