My Audio Life /暇と退屈(3)
『退屈』と『贅沢』
<暇と退屈の倫理学>に戻ろう。(以下、引用・編集)
『贅沢』について、著者で哲学者の國分功一郎がツッコミを入れている。贅沢は不必要なものと関わっている、と。「人はパンだけでは生きていけない。そこにはバラも必要だ」という例えも出していたが、必要なものが必要なだけしかない、というのはリスキーな状態であり、とうぜん豊かさも感じられないだろう。数日で枯れてしまうバラをかう無駄、贅沢が必要なのだ。
モノとしてのオーディオで【浪費】してもそこにはおのずと物理的な限界がある。しかし【消費】には限界がない。モノに付随する記号や観念、意味は無限に消費できる。
考えられる『贅沢』の限りを尽くした、ダン・ダゴスティーノのプリアンプ。工業製品の枠から飛び出した工芸作品だ。素晴らしい、ため息が出る。手元に置いて使ってみたい。ま、宝くじに当たらないと無理だが。
これは、アンプとしての性能へのこだわりとは別の『記号』『観念』『意味』が重要なのだ。無限に消費されるそうした抽象的で蜃気楼的な漂い、その移ろい……
無意識のうちにこの『記号』『観念』『意味』を執拗に追いかけていたりする。しかし、部屋で向き合うオーディオ装置は抽象的な『意味』などではなく、目には見えないが、圧倒的に具体的な【音楽】を提示してくる。その音楽=【音】の質、音質という結果がすべてになる。ソレを聴いている『私』の中で下る評価、判断、満足度、そこで自分に嘘をつく必要はなく、結果に不満があればなんとかしようとするだろう。問題は解決方法がわかっているか否かで、診断がつかなければ治療ができないことと似ている。
鳴っている音のレベル(音質)が5段階評価で “3” だったとしたら、それはまさに使い手の技量の通信簿みたいなもので、アンプやスピーカーの性能評価ではないということだ。それは『私』への評価以外の何ものでもない。それに気づかないといつまでも機器のグレードアップに逃げ込むことを繰り返してしまう。
どうしたらいいのか見えるようになればシステムの構成も変わってくるだろう。自分の求める音に近づけるには、どこをどう治療したらいいのかわかっているのだから。
JBL SRX 835 1台の価格より FOSTEX T500AⅡ の方が高価だ。が、適材適所ということのアレンジの結果こうなった。コストパフォーマンスは高い方がいいに決まっている。予算には限りがあるのだ。コスメティックな付加価値を必要としない業務用SR–PAスピーカーシステムのCPはコンシュマー高級オーディオ機器とはまったく異なる次元にある。
【 続く 】
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