MY AUDIO LIFE 1

 オーディオするということ

何のためかって……? さぁ。40年の長い付き合いだが、いろいろありすぎて、改めてかける言葉も浮かばない。一体、何だったのだろう───

それは孤独との戦いだった

 唯一の救いは、父との絆だった。音楽好きでカーキチだった父から受けた影響は大きかった。父にとって、母との結婚は失敗であり後悔を引きずっていた。わたし自身が同じ思いに直面した時に気づいたことだ。

 父との思い出はたくさんあるが、母の印象は希薄だ。同じ屋根の下で暮らしていたはずだが───ヒステリックに子供に当たり散らすシーンしか思い浮かばない。情緒不安定で、突然不機嫌の嵐に呑まれた。彼女の顔色をうかがいビクビクしていた。できれば避けたい存在だった。

 いわば精神的な虐待を受けていたようなもので、父はわたしを母から遠ざけるために一人暮らしを許してくれた。16歳の時だ。四畳半一間の狭い部屋、風呂なし、共同便所。近所の銭湯は50円だったか……

 ステレオタイプのSONYのラジカセがオーディオシステムだった。当時は、クラシックしか聴いていなかった。それもヘヴィなシンフォニーばかり。

 全身がすりつぶされそうになる激越な孤独感と戦って連敗していた。そして……

47歳で、突然孤独から解放

 それは、突然の変化だった。1人でいる時間が、まったく苦しくもなく酒の肴を作り音楽を聴きながら小説を読み、書きしていた。過去からセミの脱皮のように抜け出すことができたのだ。

 JBL E130&2405&スーパーウーファー。なぜかイコライザーレスであらゆる音楽が楽しく聴けた。休日や平日の夜は1人で箱根のワインディングロードまで出かけ、ドライブに興じたりしていた。

 オーディオはこの時、メンタル面での強力な支えになっていた。それは“ 菅野沖彦 ”という絶壁を乗り越えるという苦闘があったからだ。

退屈という宿痾に打ち勝つ

聴いて盗みなさい」菅野先生の重い一言。

「僕が何をやっているのか、オーディオ棚の後ろの隠し部屋に何があるのか、具体的なことは教えない」

 いったい、何度先生はお部屋に招いて下さったろう。細君も一緒だったこともあった。持参したCDが……    同じCDとは思えない圧倒的な音楽の世界を目の前で展開する。わたしは崖から突き落とされる思いだった。オーディオマニアのお宅で聴ける音は皆同じ。菅野邸のサウンドだけが突き抜けていた。

「なぜだ───どうして? これはマジックじゃない。現実なんだ……」

 孤独との戦いが終わって、生ぬるい幸せに浸っていると『退屈』という宿痾が忍び寄ってくる。タワーマンションの高層階からの眺めに酔い、JBL4348の美音にのぼせていた。豊かさが達成されると人はむしろ不幸の奈落に落ちるリスクを背負うということなのだ。バケツで冷水を浴びる思いとなったのは久しぶりに聴かせていただいたスガノサウンドだった。帰宅して聴いた音、恥ずかしくて、まさに穴があったら逃げ込みたい気分だった。

───俺はいったい、何をやってるんだ……   

 なんだ、この腐った音は……    そこで自己憐憫に落ち込み、自己卑下して、あんな世界はオレには関係ないのさ、ハイエンド機器を並べて得意になる趣味はねぇんだ。とジェラシーの塊となって墜落しなかったのが救いだった。それどころか、くっそぉぉぉ……   負けてたまるか。そう思ったのだ。目の前に聳り立つ垂直の壁に杭を打ち込み登らんとする無謀な挑戦を始めてしまったのだ。

【 続く 】

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