歴史の転換点を目撃

 長い1週間で疲れた


 人の一生で、遭遇するかしないかの大きな節目を目撃することになりそうだ。これまで生きてきた、出鱈目な世界が真っ当な形に矯正される可能性が高まってきた。

 細君と泡で前祝い。で、やや大きめの音量で……


 今の気分で選んだ1枚。ジャケットの写真が象徴しているのは侵食と緩やかな崩壊。昨夜は当直だったが夜中に起こされることもなく熟睡。おかげで4:50に覚醒。どうしても気になるワシントンの情勢をウォッチしていた。今日は休診日だが、前の職場に週一で午前中に1時間ほど画像診断をつけるために向かう。10:30頃に帰宅。


 このコンパクトなシステムにすっかりハマっている。部屋との相性、セッティング、コントロール、マッキントッシュやケーブル類、ツイーターに使用しているコンデンサーなど、全ての条件が複合的に相乗効果を生み出して『好みの音』が溢れ出した。
 大音量で聴く時は、バランスの微調整が必須だが、まあ、もう慣れ親しんだ作業なのであっという間だ。
 ワインやウィスキーでも、本当に自分の嗜好にピンポイントではまってくる存在に巡り会えるまでには、長い道のりを要するものだ。基本的に、『熟成度』より『鮮度、初々しさ』が優先する。女性に求めたのも肉体ではない精神の鮮度、汚れなさS/Nである(W)。
 まあ、短い人生において一市民でしかない自分にできることには限りがある。どんな職業であれ、向上心を忘れず、常に切磋琢磨していれば、少しづつでもスキルはアップするものだ。細君を見ていてもそう思う。いかにいい写真(自分に納得のいく、妥協のない)1枚を撮るか、という執念のようなものは、やはり年齢に関係なく失いたくないスピリットだ。

 話を戻そう。スピーカー、ユニットの口径に関係なく、ユニットが小さく見えるくらいの大きな『箱』を用意する。これが鉄則だと思っている。

 たとえば、かつて親友が使っていた、タンノイ、カンタベリー15。





 そして現用のJBL。巨大な箱の容積はハンパない。タンノイ以上だ。スーパーウーファー不要のディープバスが余裕で再生される。驚異の重低音だ。



 私のALTEC#9845も箱には余裕があった。#19も。ALTECのユニット、システムはこれでなくては絶対に出ないテイストがあって、スペースが許せば手元に置いておきたい稀有な存在。
 特に#9845のこのストイックで哲学的なデザインはアルテックグレイの色味まで含めて貴重な存在。



 #19のサウンドも忘れ難い。


  現在のコンパクトシステムもユニットに対して箱が大きい。で、低音が出てしまう。


 そして、アルミに特殊なコーティングを施した白い16センチユニットとアルミリボンのツイーター。この組合せがもたらす個人的には最も許容できる『物性音』、それも微かに乗っているというレベル。おかげで音楽に集中できる。口径が小さいので反応が速い。振動系のマッスがトータルでも小さいので付帯音、共振による濁りが乗りにくい。
 ビルトイン・ネットワークを持たないので、ユニットとパワーアンプの間に写真のようなコイル、コンデンサー、抵抗からなる余計なお荷物がないダイレクトであるが故の鮮度感、反応の速さが得られる。親友宅のJBLも同様なので通常の大型システムが不可避のトロさがない。
 おまけにユニットが超高能率。かつてのハイエンドスピーカーシステムの一部は、パワーアンプか? と思えるような、複雑怪奇なビルトインネットワークを採用していて、もう混変調歪のたっぷり乗った耐え難いサウンドを平気で鳴らしていた製品がたくさんあった。

 我が家のシステムは能率こそ普通だが、ニアフィールドで聴いているので音圧感はすごい。しかも、コンパクトであるが故の雑共振、付帯音の少なさで至近距離に置いても気にならない。

 ライン録音の純度の高さもさることながら、音楽として心に迫るものがあるAbove&Beyondのアルバム、トランス系は聴く人を選ぶのかもしれないが旋律の美しさが散りばめられている、という点で自分にとっては貴重なソース。
 大好きだったパットメセニーの最新アルバムも一回聴いてボツになったのは美しい旋律がないからだった。音楽は進化の過程で旋律を失う。クラシックもジャズも、どんどん抽象化され、全てがリズム楽器と化してしまい、ほとんどノイズ状態になっていった。絵画や彫刻の世界も同じだろうか。アース・ウィンド&ファイアーも、旋律を失っていき、リズムだけになっていった。
 まあ、それは嗜好の領域の話なのだろうから前衛芸術を愛する人がいてもそれについてとやかく言うつもりはありません。






 

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